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Rabbit Punching Girl

( アスファルトに咲く花というよりド根性大根 } _(:3 」∠)_

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 読みたい本と読まなくてはならない本が山積みになっている昨今。
 そういう時に限って本を買いたい欲求がむくむくと生じて、どんどんと溜まっていく積ん読本を如何に効率よく消化していくかという時間との戦いになっています。研究課題の一次史料に飽きたら二次史料、二次史料に飽きたら学芸書、学芸書に飽きたら小説。果てのない読書スパイラル。
 卒業研究のテーマが東北地方(奥羽越列藩同盟側)の戊辰戦争史なので、東北地方の幕末史料を読み漁っていると、「大鳥圭介」「土方歳三」「松本良順」といったビッグネームがさらっと登場してくるので大興奮します。

 時にWikipediaの土方歳三に、
「(宇都宮城の戦いで負った足の怪我が)全快して戦線に復帰した後は会津の防戦に尽力するが、8月母成峠の戦いの敗戦に伴い会津戦争が激化。歳三は援軍を求めて庄内藩に向かうが、既に恭順体制の庄内においては入城さえ叶わなかった」
 と書いてあるのですが、1868年8月25日に米沢城下に来ていた土方歳三と松本良順は、未だ秋田戦線で薩長軍とバリバリ戦闘中の庄内藩の使者と会って話をしています。庄内藩の降伏は近隣藩や会津落城以降の九月中旬のためにこの時期に恭順体制を取っているはずがないことが分かります。
 恭順どころか官軍相手に連戦連勝の庄内藩に対して、官軍への早期の降伏と謝罪を謀っていた米沢藩は「お前らが俺らの城下にいると体裁悪いから帰って?」(超訳)と言っています。庄内藩は「俺たちは仙台藩の応援が目的で来ているから上の指示があるまで帰らねえ」(超訳)と戦闘モード。こんな奴らが八月から恭順を取っているわけがない。誰だWikipedia編集したのは。要出典。
 おまけにこの八月に土方副長は「外夷を頼ろうぜ!」と発議して、裏でこっそり降伏準備中の米沢藩と仙台藩に一蹴されています。かの新選組副長が外国人の助力を得てまで新政府軍と徹底抗戦しようと言ったのね、とちょっと考えさせられる史料だと思いました。
 とにかく奥羽越列藩同盟は連携が悪い上に各藩ごとに思惑があって、「仙台藩→輪王寺宮を担いで東北に伊達幕府を打ち立てたい」「米沢藩→越後の旧上杉領を手に入れたい」「盛岡藩→仇敵の津軽藩をフルボッコに出来れば満足」という散々なありさま。善戦していたのは庄内藩のみ(いちばん周辺の藩に含むところがなかったというか) 私は長岡藩のガトリング大将こと河井継之助を愛しています。

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